安全標語自動作成
チェックボックスにチェックをいれると、
文字を引き継ぎます。
安全標語自動作成の使い方
(1)画面が表示されると「5,7,5」の安全標語のキーワードが自動で表示されます。
(2)変更したいキーワードを変更します。
(3)残したいキーワードの前のチェックボックスにチェックをいれます。
(4)「更新する」ボタンを押下するとチェックがはいっていないキーワードが入れ替わります。
(5)最適な安全標語になるまで「更新する」ボタンを押してください。
全国安全週間の歴代スローガンの解説
第1回 昭和3年度 一致協力して怪我や病気を追拂ひませう
この年のスローガンは、「一致協力して怪我や病気を追払いませう」というものだったそうです。安全と労働衛生も未分化で、非常に素朴なスローガンです。
第2回 昭和4年度 健康は身の為 家の為 國の為
生涯にわたる心身の健康は、自分のためであり、家族のためであり、そしてひいては国のためでもあるという標語です。昭和四年という国家主義時代の空気を感じますね。
第3回 昭和5年度 締めよ心 盡せよ設備
「盡せよ」は、「つく・せよ」と読みます。今で言う所の「尽くす」と同じ意味です。しっかり気持ちを引き締めて、他の者のために精一杯働いたり努力したりしなさい、という標語になっています。
第4回 昭和6年度 安全は協力より
第3回までのものと比べると端的な印象を受けますね。シンプルだからこそ伝わることもあります。協力をすることで、みんなの安全を守ろうという意味合いが込められています。
第5回 昭和7年度 國の礎 我等の健康
安全を守ろうという呼びかけとともに、日本のさらなる発展を懇願する思いが込められたスローガンです。
第6回 昭和8年度 國の護りぞ 身を守れ
戦争前とその最中に打ち立てられたスローガンというのは、どれも果敢な表現がされていますね。ここからどんどん、仕事や職場の安全と言うよりは、日本国全体の安全を願う、とても強い印象のスローガンになっていくでしょう。
第7回 昭和9年度 守れ安全 日本の飛躍
東北地方の冷害凶作被害に対処するため、凶作地ニ対スル政府所有米穀ノ臨時交付ニ関スル法律(昭和9年法律第52号)が公布されるなど、国民の取り組みが、会社の安全への意識を飛躍的に高めていきました。
第8回 昭和10年度 産業安全 祖國の守護
この年から、安全を守るという言葉ととともに、「産業」という言葉が使われはじめました。戦前ですから、日本国産業の飛躍への思いが込められているのかもしれません。
第9回 昭和11年度 國の礎 産業安全
この年、わが国経済は高度国防国家建設の名のもとに、急速に軍事化への道をたどりました。インフレによる物価上昇はあったものの、景気は活況を呈し、産業の設備投資は増えていったのです。その中で、より安全に対する心持ちが強まっていったのでしょう。
第10回 昭和12年度 興せ産業 努めよ安全
激動の時代、昭和12年。民族主義的色彩の強い建物である帝室博物館が建造されました。昭和10年から変わらない、苛烈で、かつしっかりとしたメッセージ性のある標語が続いています。
第11回 昭和13年度 安全報國 銃後の護り
4月に公布された国家総動員法によって、産業と暮らしのすべてが統制下に置かれるようになりました。建設業界も総動員体制に組み込まれ、軍事施設と軍需産業方面に動員されたのですが、技術者や労務者の不足、輸送力の低下、電力事情悪化などの悪条件が重なり、工事は意のごとく進まなかったようです。ですから、この年は「産業」や「仕事」的な言葉よりも、国に対する安全の言葉が使われているのでしょう。
第12回 昭和14年度 興亜の偉業に 輝く安全
ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、日本も戦時体制を色濃くしています。前年の「軍需工業動員法」に続き、この年の7月には「国民徴用令」が公布。そのため、労働力不足は深刻になり、安全に対する意識も低くなってしまったのでしょう。
第13回 昭和15年度 守れ安全 輝く日本
このころのスローガンとして、「ぜいたくは敵だ」という有名なものがあります。9月には、日・独・伊三国同盟が締結され、より戦争の色が濃くなりました。軍需産業の拡大で、労働力不足が深刻化しているのはいうまでもありません。安全を守れというよりも、日本のために働け、という意味合いが強いと思われます。
第14回 昭和16年度 總力戦だ 努めよ安全
12月、日本軍が真珠湾(パール・ハーバー)を空襲し、太平洋戦争が始まりました。開戦と同時に、大掛かりな大防衛工事も開始され、大いに仕事が増える一方、労働者への待遇は悪かったようです。労働では安全を守りながらも、国民へ総力戦としてある意味「戦い」を強いたのでしょう。
第15回 昭和17年度 誓って安全 貫け聖戦
スローガンとして「欲しがりません勝つまでは」が有名なこの年。安全週間のスローガンにも、聖戦という言葉が出ました。有名な「金属回収令」によって、寺院の仏具・釣り鐘なども回収されていきました。しかし、物資や労働力の不足は産業の発展をもはや不可能にさせていたのも事実です。
第16回 昭和18年度 必勝の生産 鉄壁の安全
戦局が日に日に悪化し、軍靴の響きとともに国内情勢も窮迫の度を増しています。このころは工事が非常に多かったのですが、深刻な労働力不足により、事故も多かったと言います。スローガンにも「鉄壁」「必勝」という言葉が現れ、この年の苦しさを表しているようです。
第17回 昭和19年度 決戦一路 安全生産
第二次世界大戦における日本の敗色はますます濃厚となっていったこの年。11月にはB29による東京の空襲が開始されます。建設資材の逼迫、労務の不足は極みに達していましたが、本土決戦に備える軍施設工事などの要請はいよいよ急を告げ、スローガンにはついに「決戦」という言葉が出ました。
そして、翌年。日本は敗戦するのです。
第18回~33回 昭和20~35年度
戦後は、戦時中の産業報国運動に対する批判もあり、安全週間から統制色を払拭したいという気持の現れからも、スローガンによる呼びかけを行わず、以来、第33回(昭和35年)まで、スローガンなしの安全週間がつづきました。
第34回 昭和36年度 作業設備をととのえて 職場の安全をはかろう
昭和36年からのスローガン復活は、科学的、組織的な安全管理の推進を呼びかけようという動きを反映させています。それに加えて、職場、作業設備、といった言葉が使われ、内容もより具体的になっています。
第35回 昭和37年度 設備を点検整備して 職場の災害をなくそう
以前のスローガンとは異なり、言葉の雰囲気が柔らかくなっています。全国安全週間を機に、労働災害防止に向けた取り組みの強化啓発を再度図り始めたのでしょう。
第36回 昭和38年度 整理整頓を徹底し 良い作業環境をつくろう
「整理整頓」というと「そんな当たり前のこと,今更言われなくても分かっている!」という声が聞こえてきそうですね。実は,当たり前だと分かっていることでも,確実に行っていくことは大変難しいことです。地味かもしれませんが,そうした当たり前の整理整頓を積み重ね,より高いレベルで徹底していくことが大きな業務改善につながるというスローガンです。
第37回 昭和39年度 作業の環境を点検整備して けがのない明るい職場をつくろう
ヒヤリ・ハットとは、作業中に一歩間違えればケガをしたかもしれない失敗のこと。現代でも聞くことばです。ヒヤリハットを防ぐために、作業の環境を点検整備することが大事です。
第38回 昭和40年度 設備・環境を改善整備して 無災害の職場をつくろう
事業活動において、全社員が労働災害による影響を認識し、リスクの低減と負傷及び疾病の予防をすることで、職場環境を整備し、安全な職場づくりを目指すスローガンです。
第39回 昭和41年度 設備・環境を点検整備して 災害のない職場をつくろう
『すべての事故とケガは防ぐことができる』として安全環境管理体制を整えます。関係者全員が労働災害防止の重要性を認識し、災害ゼロを目指すためのスローガンです。
第40回 昭和42年度 安全のルールを守って 無災害の職場をつくろう
スポーツには“ルール”があるように、職場の安全衛生活動にもルールがあります。安全ルールの重要性に気付き、安全な行動を習慣化させることで無災害の職場になるのですね。
第41回 昭和43年度 立場・持場で点検して 設備・環境を整備しよう
各自の立場・持場で適切な安全管理の枠組の構築、非定常作業時、設備等の経年劣化も踏まえた点検の徹底、先進的な取組を参考とするなどして事故等の未然防止を目指すスローガンです。
第42回 昭和44年度 立場・持場で設備・環境の安全化を徹底し 無災害の職場をつくろう
「アポロ11号」が月面着陸、人類が初めて月を歩いた奇跡的な年。昭和42、43年のスローガンを合体させていますね。都市の市街地道路、橋梁の建設も同時に活発化しているので、多くの労働力が必要となり、安全を守るスローガンが必要になったのでしょう。
第43回 昭和45年度 設備・作業の安全化と環境の整備をすすめ けがのない明るい職場をつくろう
この年3月14日、「人類の進歩と調和」をテーマにした「日本万国博覧会」(EXPO'70)の開会式が行われました。設備・作業の安全化と環境の整備を目指しながら、けがのない明るい職場を作っていこうというスローガンがぴったりの年と言えるでしょう。
第44回 昭和46年度 みんなで見なおそう 設備と作業の安全を!
高度成長時代はモータリゼーションの波が全国土に広がっています。新御堂筋が全面開通したり、山陽新幹線六甲隧道が貫通したりするなど、交通網も整備されつつありました。
第45回 昭和47年度 さらに進めよう 設備と作業の安全を!
「日本列島改造論」を掲げる田中角栄内閣が誕生し、景気は一気に過熱しました。設備改善対策や作業見直しなどの改善を進めることで、快適で活気みなぎる職場にするためのスローガンが考えられたのでしょう。
第46回 昭和48年度 みんなで進めよう 設備と作業の安全を!
ここまでの3年は、「設備と作業の安全を!」という部分が共通しています。見直す、さらに進める、みんなで進める、と続いていますよね。東洋一の長さの吊り橋、関門橋開通するなど、46年から多くの交通網が整備され、多くの工事が行われてきたことの証明とも言えるかもしれません。
第48回 昭和50年度 みんなの工夫と努力で さらに進めよう 職場の安全を!
第49回 昭和51年度 みんなで組み込もう 作業の中に安全を!
第50回 昭和52年度 みんなで見直し みんなで考え 先取りしよう職場の安全を!
ゼロ災運動をすすめるためには、安全と健康を先取りしようというゼロ災運動を推進することが肝要です。先取り参加の意欲のある職場風土を作るにことで、危険予知活動も本格的にすすむことになります。
第51回 昭和53年度 新たな気持で取り組み さらに高めよう職場の安全を!
日本産業の発展に伴い、新規学卒者の採用が53年から、製造業を中心に大幅に増加しました。それと同時に事故も増加しました。業務災害による死傷事故は、本人だけでなく、職場、家族にも大きなショックをもたらします。
それを防止したいという気持ちで、このスローガンが作られました。
第52回 昭和54年度 設備と作業を見直し 定着させよう職場に安全を!
第53回 昭和55年度 設備と作業の改善を進め 定着させよう職場に安全を!
雑居ビルや化学工場における火災災害、足場倒壊による墜落災害、クレーンの倒壊災害が発生するなど一度に多数の労働者が被災した災害や、社会的に大きな関心を集める事故災害が跡を絶たなかったこの頃。このような状況の中、労働災害を減少させ、我が国の安全水準の向上を図ることが求められました。このような観点から、この2年は職場安全のなかでも、特に設備と作業についてのことがスローガンとして展開することになったのです。
第54回 昭和56年度 災害ゼロはみんなのねがい 徹底させよう職場に安全を!
第55回 昭和57年度 災害ゼロはみんなのねがい さらに進めよう職場の安全を!
災害ゼロを目指すという言葉は、これ以降何度も出てきます。たとえ災害がゼロでも、それに満足することなく、関係者一人ひとりが「危険ゼロ」を目指して、職場の災害につながる危険をできるだけ小さいものとするよう不断の努力をするとともに、労使が一致協力して組織的、計画的かつ継続的な職場の安全管理活動を推進することが必要でした。
そのような多くの人の『ねがい』から、この二年のスローガンが作られたのでしょう。
第56回 昭和58年度 決意を新たに努力と工夫を重ね 進めよう職場の安全を!
昭和58年(1983年)5月26日正午、能代市西方沖80kmの地点で、地震の規模M7.7の地震が発生しました。いわゆる日本海中部地震です。多くの復興事業が立ち上がりました。そのなかで新たに決意をして、より安全に努めようとしたスローガンです。
第57回 昭和59年度 努力と工夫を重ね さらに進めよう職場の安全を!
職場に潜む生産設備や作業の危険を予知して洗い出しす努力や、必要な対策を講じて改善に努める工夫が、更に安全で災害の無い明るい職場づくりにつながるというスローガンです。
第58回 昭和60年度 みんなで考えみんなで築こう 災害ゼロの明るい職場を!
昭和の終わりごろは、明るい職場、災害ゼロなどの言葉が見られるようになりました。すべての働く方が安心して安全に働くことのできる職場の実現を呼びかけています。安全はもちろんですが、職場環境を重視し始めているのでしょう。
第59回 昭和61年度 みんなで取り組み達成しよう 災害ゼロの明るい職場
スローガンそのものに温かみが感じられはじめました。安全を守るという言葉とともに、前へ進もうという強い意志が見られます。
第60回 昭和62年度 自主的に取り組もう職場の安全 進めよう設備と作業の改善
会社からの命令でなく、社員が自主的に取り組むように働きかけるスローガンです。労働者が「やらされている」と思っているうちは、改善は進みません。労働者に質問したり、労働者が自ら考えることで、安全衛生を「自分ごと」として捉えられるようになります。
第61回 昭和63年度 決意新たに見直そう設備と作業の安全を!
昭和最後の年。少しの不注意が事故につながることやわ事前の段取りと集中力を切らさないことが重要とされました。適度な休憩も事故を防げるとして、休憩タイムが導入されたのもこの年がはじめてだったようです。
第62回 平成元年度 決意新たに みんなで築こう災害ゼロの明るい職場を!
平成元年のこの年。新たな元号の幕開けとともに、安全に対する決意も新たにしようという意味が込められています。
第63回 平成2年度 災害ゼロはみんなのねがい あなたのために家族のために
現場に働く人全員が一体となって「ゼロ災運動」に取り組むことで、一人一人に安全意識の高揚と定着を図れます。災害ゼロの職場を目指すことは働く人だけでなく、その家族にとっても願いであります。
第64回 平成3年度 みんなで決意 みんなで努力 前進させよう職場の安全
働く人々が安心できる、安全で衛生的な職場環境の向上と整備は全員で安全意識の高揚に取り組むことが大事だと教えてくれるスローガンです。
第65回 平成4年度 設備と作業の安全で 実現しよう 災害ゼロの明るい職場
作業をするときは、施設の安全管理によって、リスクアセスメントを確実に実施できるという意味です。災害ゼロの快適職場を造ることで、明るい職場になれるとしています。
第66回 平成5年度 災害ゼロの安全職場!トップの決意・現場の実行
災害リスクの増大と少子高齢化の進展の中で、自主防災組織がより強くなることが求められできたこのころ。予防的な活動の推進をはかることが期待されていました。リスクアセスメントによる予防型安全対策を促進させ、安全で快適な職場形成を目指すスローガンが作られました。
第67回 平成6年度 職場の安全 家族の安心 災害ゼロはみんなの願い
災害により悲しむ人の出ないように、企業活動における働く人すべての生命と健康を守ることを最優先し、安全の重要性を役職員一人一人が深く認識することが求められます。そのため、家族という言葉を加えて、職場だけではない、家族と一緒に災害ゼロを目指そうとしました。
第68回 平成7年度 つみとろう危険の芽 トップの決意 みんなの努力
安心して働くことができる職場づくりを目指すにあたり、職場をあげて努力することが肝要だと示すスローガンです。なにかあればすぐ対応策を考え、事業場の安全意識を醸成することが大切ですね。
第69回 平成8年度 『危なかった』は赤信号 つみとろう職場に潜む危険の芽
物事は、起こってしまってからではどうしようもないものです。起こらないように対処することが、非常に大切といえます。全国安全週間を契機に、それぞれの職場において、労働災害防止の重要性について認識を更に深めることが大事ですね。
第70回 平成9年度 安全はトップの決意とあなたの努力 めざそう災害ゼロの明るい職場!
安全な産業現場を築いて行くには、「安全は何よりも最優先される」、「安全から元気を起こす」という考えに立ち返って、自社の安全活動が停滞していないかを企業全体で点検し、取組を一歩前に進めることが不可欠です。トップこそが安全意識を高め、日頃の取組みの定着を図る必要があるとするスローガンです。
第71回 平成10年度 今一度確認しよう「安全第一」 つみ取とろう職場にひそむ危険の芽
事故が起きてから対策するのではなく(後追い型)事故が起こる前に対策及び危険を除去する(先取り型)にするようみなさんで気をつけようというスローガンです。
第72回 平成11年度 見逃すな危険の芽 さらに高めよう職場の安全
労働災害につながる潜在的な危険をなくしていくことが、今後の労働災害防止対策を推進する上で必要であることを表しています。
第73回 平成12年度 災害ゼロから危険ゼロへ みんなで築こう新しい安全文化
災害ゼロから『危険ゼロ』までいたるには、職場の災害につながる危険をできるだけ小さいものにする必要があります。労使が一致協力して組織的、計画的かつ継続的な職場の安全管理活動を推進することが肝要なのだというスローガンです。
第74回 平成13年度 世紀をこえて「安全第一」 めざそう職場の危険ゼロ
こちらのスローガンは、20世紀初頭に提唱された「安全第一」という理念がほぼ100年を経過した21世紀となっても追求しなければならない不変のものであることを表しています。また、「安全第一」は事業場における労働災害を結果としてゼロにすることを目標とするのではなく、「危険ゼロ」を目標とすることが大事だとされています。
第75回 平成14年度 めざすゴールは危険ゼロ 進めよう職場の安全管理
労働災害、特に死亡災害を減少させ、我が国の安全水準の向上を図るためには、たとえ災害がゼロでも、それに満足することなく、関係者一人ひとりが「危険ゼロ」を目指すことが大事だというスローガンです。
第76回 平成15年度 危険をみつけて進める改善 高めよう職場の安全管理
平成15年度から新たな第10次労働災害防止計画がスタートしました。関係者一人ひとりが、職場にある危険有害要因を的確に洗い出し、災害につながる危険をなくすよう改善を進めることが大切です。労使が一致協力して組織的、計画的かつ継続的な安全管理活動を行うことにより、職場の安全管理水準を高めていくことが必要であることを表しています。
第77回 平成16年度 危険をみつけて取り組む改善 トップの決意とみんなの実行
このスローガンは、関係者一人ひとりが当事者意識を持って取り組むことが大事だと伝えてくれます。特に、職場のリスクを効果的に低減させることが重要であることを表しています。
第78回 平成17年度 トップの決意とみんなの創意 リスクを減らして進める安全
このスローガンは、職場の安全を確保するための方法を表すために作られました。経営トップが安全衛生方針を表明するなど、率先して安全衛生対策の積極的な推進を決定することによって、リスクを減らせるという意味を表しているのでしょう。
第79回 平成18年度 全員参加でリスクの低減 確立しよう「安全文化」
4月から、リスクアセスメントの実施等の努力義務化等を内容とした改正労働安全衛生法が施行されました。 各事業場において、労働災害の一層の減少を図るためには、労使が一丸となってリスクアセスメントを実施し、リスクを低減させることが必要とされたのです。このような「労働者の安全と健康を最優先する企業文化」である「安全文化」を確立することが重要であるというところから、こちらのスローガンが提唱されました。
第80回 平成19年度 組織で進めるリスクの低減 今一度確認しよう安全職場
経営トップはもとより、関係者一人一人が認識を新たにしようといううごきが始まりました。安全意識を高め、それぞれの事業場において総点検を行い、事業場の実態に即した継続的な安全が確保されるよう、組織ぐるみで活動を推進しようというスローガンが提唱されています。
第81回 平成20年度 トップが率先 みんなが実行 つみ取ろう職場の危険
トップこそがこれまでの災害を教訓にして、二度と災害が発生しないよう、みんなで原点に立ち返ろうという意味で作られたスローガンです。この年から、安全作業の徹底を図るうえで有効な手法であるリスクアセスメントの取組み・定着をお願いしています。
第82回 平成21年度 定着させよう「安全文化」 つみ取ろう職場の危険
労働災害は、この年減少傾向にありながらも、1200人を超える死傷者がいました。それぞれの現場で経営トップはもとより、関係者一人一人が認識を新たにし、安全意識を高めることが求められました。それぞれの事業場において総点検を行い、事業場の実態に即した継続的な安全が確保されるよう、諸般の活動を推進することを目標に定されたスローガンです。
第83回 平成22年度 みんなで進めようリスクアセスメント めざそう職場の安全・安心
このスローガンには、労働災害を一層減少させるためには、労使が協調して全員参加のもとに、職場における機械設備、作業等による危険を自主的に洗い出して(リスクアセスメント)、その危険をなくし、安全・安心な職場を目指していくことが必要であるという意味が含まれています。
第84回 平成23年度 安全は 家族の願い 企業の礎 創ろう元気な日本!
平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、多くの人命が失われ、東北地方を中心に未曾有の甚大な被害となりました。元気な日本を創るためには、企業を支えるのはそこで働く人であること、安全に働くことは企業の力の源泉であり家族が安心して暮らせる大前提であることを再認識し、労使が一体となって、家庭や社会と対話をしながら安全活動を展開していく必要があります。このような観点から、平成23年度の全国安全週間は、このスローガンに決定されました。
第85回 平成24年度 ルールを守る安全職場 みんなで目指すゼロ災害
ここから3年連続で「ゼロ災害」という言葉が使われました。昭和56年度から「災害ゼロ」という言葉はありましたが、「ゼロ災害」には、東日本の震災が絡んでいるように感じられます。災害の中で安全を守るにはどうしたらいいのかという思いが、このスローガンを生み出したのかもしれません。
第86回 平成25年度 高めよう 一人ひとりの安全意識 みんなの力でゼロ災害
この全国安全週間を契機として、それぞれ の職場で、労働災害防止の重要性を認識し、安全活動の着実な実行を図ることにより、ゼロ災害を目指すスローガンです。
第87回 平成26年度 みんなでつなぎ 高まる意識 達成しようゼロ災害
労働災害を防止するためには、トップから安全衛生の担当者、労働者までの事業場の全員が現場を確認しなくてはなりません。基本的なルールを守ることに加え、事業者から労働者一人ひとりまでの安全に対する意識や危険感受性を高めることにより、労働災害ゼロを目指そうというスローガンです。
第88回 平成27年度 危険見つけてみんなで改善 意識高めて安全職場
ゼロ災害からは脱却した平成27年。職場での安全管理を意識するのはもちろん、生活の中での安全にも気を配り、さらには未来にまで目を向ける内容はかなり近代的です。スローガンの内容もより具体的ですね。
第89回 平成28年度 見えますか? あなたのまわりの 見えない危険 みんなで見つける 安全管理
安全な職場環境を形成するために、同じ職場にいる労働者全員で早期に危険要因を発見・改善・見える化し、事故の発生を未然に防ぐことを呼びかけています。
第90回 平成29年度 組織で始める安全管理 みんなで取り組む安全活動 未来へつなげよう安全文化
事業場と本社による全社的な安全管理を進め、労働者一人一人の安全意識の高揚を図り、安全な職場環境を継続的に形成するよう呼びかけています。
第91回 平成30年度 新たな視点でみつめる職場 創意と工夫で安全管理 惜しまぬ努力で築くゼロ災
働く方一人一人がかけがえのない存在であり、各事業場で一人の被災者も出さないという基本理念が見直されました。日々の仕事が安全なものとなるよう、改めて労使が一体となって、安全な職場環境を形成していくことを目的とされています。
第92回 令和元年度 新たな時代に PDCA みんなで築こう ゼロ災職場
事業者が労働者の協力の下に、マネジメントシステムの基本をなす PDCA サイクル「計画(Plan)- 実施(Do)- 評価(Check)- 改善(Act)という一連の過程」を確立した新たな時代。事業場での自主的な安全衛生管理をより一層推進するとともに、安全な職場環境を形成する目的でこのスローガンが作られました。
第93回 令和2年度 エイジフレンドリー職場へ! みんなで改善 リスクの低減
事業者と労働者が一体となって「リスクアセスメント」を行うことなどにより、高齢者が安心して安全に働ける職場環境を形成することを通じて、すべての働く人の労働災害を防止するよう呼びかけています。
第94回 令和3年度 持続可能な安全管理 未来へつなぐ安全職場
働く高齢者の増加等の就業構造の変化がある現代。新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う社会情勢の変化等に対応し、将来を見据えた持続可能な安全管理を継続して実施していくかねばなりません。
国家公務員安全週間における標語
昭和40年度第16回 職場を明るく美しく
国家公務員安全週間は、各府省、各機関が災害の根絶を期して、安全管理に関する施策の充実、安全意識の高揚及び安全活動の定着を図り、職員の安全を確保することによって公務能率の向上に資することを目的として行うものです。標語は昭和40年度から掲げられるようになりました。記念すべき最初の標語は、職場を明るく美しく。分かりやすく明確な標語です。
昭和41年度 第17回 明るい職場は無事故から
昭和42年度 第18回 みんなで協力無事故の職場
41、42年は事故に関する標語が続きました。この年代近隣では、新潟水俣病、四日市ぜんそくなどの公害被害が相次いでいます。産業が発展したからこその弊害であり、伴って事故も増えていた時期でした。会社全体で事故を防ごうという指標が見て取れます。
昭和43年度 第19回 気をつけよう小さなことが事故招く
昭和44年度 第20回 ひとりの注意が みんなを守る
昭和45年度 第21回 安全はひとりひとりの注意から
次の3年も、同じように事故を防ぐ目的の標語です。ただし、会社全体としての事故防止から、個人に対しての事故防止に変わりました。このころ、北海道美唄炭鉱ガス爆発で16人死亡するなどの大きな事故が起こっています。44年には公害防止法が制定されるなど、多くの人災もあった時期です。一つでも多くの事故・災害を防ぐ為、安全に関する様々な取り組みを推進していました。個に対する意識の変化によってできたスローガンだと言えるでしょう。
昭和46年度 第22回 無事故で築く 明るい職場
沖縄全軍労が3000人の大量解雇に反対して48時間全面ストを行なったり、「繁栄」のかげで、公害問題がますます深刻化していきました。とはいえ、日本は産業的に活気に満ちていた時期です。事故を防ぎ、より広い範囲での発展を目指そうとする気持ちがスローガンから分かります。
昭和47年度 第23回 みんなで守ろう職場の安全
沖縄の本土復帰が果たされ、日中国交正常化が実現したこの年。東名高速道路と中央自動車道が日本初のジャンクションである小牧JCTにより直結されるなど、交通面でも発展が見られました。仕事が増えることで起こる職場事故を減らしたいという意図で作られたスローガンです。
昭和48年度 第24回 まさかまさかが事故を生む
山口の出光石油化学徳山工場でエチレンプラントが爆発し、1人が死亡した事故がありました。以後、各地で石油コンビナートの爆発事故が相次ぎ、大手電機各社が節電のため大都市のネオンサインを消すなど、高度経済成長に翳りが見えてきました。事故を防いで人命を守りたい気持ちの込められたスローガンです。
昭和49年度 第25回 「絶対」と思ったときにもう一度
この年、高度成長政策の破綻が明確となりました。物価急騰、省エネの推進が始まり、産業が発展していた時とは逆の動きながら、現場は変わらず仕事に追われました。職場事故もまだ多く、個人の意識へ向けたスローガンが採択されたのでしょう。
昭和50年度 第26回 まず確認「なれ」と「うっかり」事故のもと
バブル崩壊により、企業の倒産が相次ぎました。沖縄海洋博も低調に終わり、日本にとっては苦境の時代に突入します。人員削減により残された社員への負担が増加、うっかり事故も増えました。それを防止するためのスローガンです。
昭和51年度 第27回 もし、事故が起きてしまったら・・・・・・
例年にない、珍しいタイプのスローガンです。問いかける形のスローガンは他の標語をみてもあまりなく、レアな印象を受けます。自分で「……」の後に続く言葉を考えさせることで、自発的な気づきになるよう誘導しています。
昭和52年度 第28回 大違い!「ちょっとの注意」と「ちょっとの油断」
福田首相は、先進国首脳会議(ロンドン)で日本の52年度実質経済成長率6.7%達成を約束しました。ヨドバシカメラ・流通卸センターなどディスカウントショップが盛況し、少しずつ活気の戻ってきた印象です。活気が戻ったからこそ、油断も生まれやすくなります。
昭和53年 第29回 あなたの点検 あなたの注意で 今日も無事故
人為的な事故が増えつつあったこの年。無事故を目指す動きにより強まりが生まれました。多くの製品を生み出そうとして、点検などを疎かにしがちだったのです。
昭和54年度 第30回 事故は 無理から 油断から
引き続きバブルからの揺り戻しで雇用が不安定だった時期。人員削減によって、多くの残業が生まれました。そのため、社員の中には大幅に無理をして仕事にあたっていたものも多く、それにより事故が起こっていました。
昭和55年度 第31回 きめられた 規則と手順 守って安全確保
なるべく少ない手順で多くの利益を出そうとする動きか始まりました。今ではミニマムな手順が確立されましたが、この時は杜撰な手抜き作業も生まれたといいます。規則や手順を守ることにより安全が確保されると伝える標語が生まれたのでしょう。
昭和56年度 第32回 作業の前には 必ず実施 安全確認
日本初の新交通システムが営業開始する喜ばしいニュースの一方で、日本原電敦賀発電所で放射能漏れ事故が起こるなど、苦しいニュースも多かった年です。標語でも、安全に対する姿勢が再度見直されました。
昭和57年度 第33回 見直そう作業方法 整備しよう作業環境
東北新幹線 上越新幹線が開業し、ソニーが世界初のCDプレーヤー「CDP-101」を発売するなど、テクノロジー・科学ブームが巻き起こっていた年です。景気も少しずつ回復してきたからこそ、作業方法の見直しを行い、安全を徹底しようという動きが生まれました。
昭和58年 第34回 適切ですか 作業管理と環境整備
ファミリーコンピュータ(任天堂)や、ワープロ 書院(シャープ)、電子手帳 データバンク(カシオ計算機)、ポケットテレビ(カシオ計算機)が生まれた『躍進の年』。多くの製品が生まれたからこそ、やはり前年同様、作業環境を安全にすることが求められたのでしょう。
昭和59年度 第35回 「もう一度」のゆとりから生まれる職場の安全
三陸鉄道が開業したこの年。多少の落ち着きは見せましたが、気の緩みから起こる事故はまだ多かったようです。『もう一度』を示唆するこの標語はよく磁性を表していると言えるでしょう。
昭和60年 第36回 ひとりひとりが いつでも安全管理の担当者
青函トンネル本坑、関越自動車道全線、大鳴門橋が開通するなど、交通の便が続々と整えられていきました。どの作業においても、たとえ小さなことでも怠ると大きなミスにつながります。それを防止するための標語が採択されました。
昭和61年度 第37回 忘れていませんか?安全確認 守ってください 規則と手順
交通事故の多発により、シートベルトの着用が原則義務化されたこの年。車運転の安全確認だけでなく、仕事においても、一人一人の安全確認が求められました。
昭和62年度 第38回 「災害」は「安全」の仮面で潜んでいる
東北自動車道が全線開通したり、西武百貨店渋谷店隣にロフト1号店が開業したりするなど、多くの新たな施設や道路ができたこのころ。新たな施設を楽しむためには、災害を防止せねばなりません。安全だろう、大丈夫だろうではなく、しっかり確認して行くことが大事だと標語がおしえてくれています。
昭和63年度 第39回 目を配り 心を配って 職場の安全
世界最長の青函トンネル(58.85km)開通
東京ドームが完成し、さらに世界最長の道路・鉄道併用橋の瀬戸大橋も開通した年。東北新幹線・上越新幹線も開業しました。まさしく昭和の最後の年にふさわしい快挙です。そんななかで、職場内安全が注目されはじめました。事故は外だけではなく中でも起こるものと見直され始めたのです。
平成元年度 第40回 思い込むな!見過ごすな!ふだんの業務の安全確認
昭和天皇が崩御され、昭和から平成に変わった年。37カ月連続で景気回復し、岩戸景気に迫る好景気になりました。横浜ベイブリッジ、幕張メッセ、葛西臨海水族園開通するなど、新たな施設開設も多かったからこそ、普段から安全に気を配る標語が選定されたのでしょう。
平成2年度 第41回 安全は 任せず 頼らず 自分から
去年とは打って変わり、この年にバブル経済崩壊で株が暴落しました。多くの失業者が出て、事故も多かったといいます。
平成3年度 第42回安全は いつでも どこでも 最優先
2.3年の標語は従来のものと比べると少しトーンダウンしている印象ですよね。やはり、景気の低迷が原因なのでしょう。ですが、新幹線300系が最高時速325.7km/hを記録するなどの明るいニュースもありました。
平成4年 第43回 安全な職場の管理はあなたが主役
長崎県でハウステンボスが開業し、東海道新幹線で「のぞみ」が運転開始するなど、少しずつ景気回復の兆しが見えてきました。このころから、標語が『全体』より『個』を意識したものに変わってきた印象です。
平成5年度 第44回 曇っていませんか?安全の目と心
平成6年度 第45回 あせる心はイエローカード 安全無視はレッドカード
福岡ドームが完成し、日本一の高さを誇る超高層ビル、横浜ランドマークタワーが開業。さらに、レインボーブリッジが開通して関西国際空港が開港したこのころ。いわゆるハコモノとよばれる事業が多かったようです。この2年は建設に伴った労災も多かったようですね。
平成7年度 第46回 「しまった!」では もう遅い 安全対策 ひごろから
PHSサービスが開始し、携帯電話というものが普及しはじめました。九州自動車道が全線開通し、青森 - 鹿児島・宮崎間が高速道路によって結ばれたのもこの年です。日頃からの安全対策によって大きな事故が防げるという標語は、この次の年にも引き継がれました。
平成8年度 第47回 危険です 慣れと油断とルール無視
平成9年度 第48回 ちょっとまって!いつもの点検 だいじょうぶ?
東京臨海高速鉄道りんかい線で、新木場駅~東京テレポート駅が開業しました。また、複合商業施設キャナルシティ博多や大阪ドーム、ナゴヤドームなどが建てられ、順調な景気回復が図られています。前年の標語を受け継ぎ、この2年は「日頃の油断」を防ぐ標語が採択されました。
平成10年度 第49回 あなたへ質問 「安全ですか?その行動」
Windows 98が発売され、冬季長野オリンピックが開催されたこの年。日本は五輪景気に沸きました。一斉に新規事業が沸き立つそんな中、安全を無視したことによる事故も多くなりました。問いかける標語が再登場したのは、個人の意思に訴えるためといえます。
平成11年度 第50 安全対策 何かあるはず できること
平成12年 第51回 見直そう 慣れたルールと日頃の行動
新紙幣2000円札、新五百円硬貨が発行された年。四国4県を結ぶエックスハイウェイが完成したり、上信越自動車道が全線開通したりと、交通網の整理が続いています。ここまでの標語は個へのアプローチが続いていますね。
平成13年 第52回 潜む危険に注意力 危険回避にチーム力
湘南新宿ライン運転が開始され、埼玉スタジアム、札幌ドームが完成した年。アメリカ同時多発テロ事件が起こりました。この年から、個ではなく、チームへ向けた標語が増えてきます。
平成14年 第53回 一人より みんなで確認 事故防止
名古屋市に大型複合施設オアシス21がオープンしました。前年に引き続き、チームで安全確認を行おうと呼びかける標語になりました。
平成15年度 第54回 みんなでつくるゼロ災害 みんなで守るその笑顔
六本木ヒルズがグランドオープンしたり、小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げが成功したりと、嬉しいニュースが多かった年。こちらも「みんなで」という言葉が使われていますね。
平成16年 第55回 安全が 危険に変わる その油断
九州新幹線新八代駅~鹿児島中央駅間が開業し、東京国際空港第2旅客ターミナルビルが開館するなど、新たな箱物が多く作られ始めたこの年。チームではなく、個人への標語に切り替わりました。
平成17年度 第56回 毎日の 慣れた仕事に 落とし穴
エクスプレス線(東京・秋葉原駅~茨城・つくば駅間)が開通するなか、JR福知山線脱線事故が起こりました。この事故は多くの死傷者を出し、歴史に残る人災として記録されることになりました。慣れたカーブで出したスピードが大事故を引き起こすように、日々の仕事でも気を配ることが大事とした標語はこの年をよく表しているといえます。
平成18年度 第57回 見逃すな! 大きな事故の 小さな予兆
各地で大雪による被害があり、天災による事故が多発した年。神戸空港が開港した年でもあります。些細なことでも見逃すと大きな事故に。路面にできた小さな氷で大怪我をするのと似ていますね。
平成19年度 第58回 再確認 見慣れた場所こそ 危険箇所
平成20年度 第59回 「目」を配り 事前に摘み取れ 危険の「芽」
岐阜県に、国内最大級となるダム(徳山ダム)が完成し、複合施設赤坂サカスがグランドオープンするなど、復興に加えて新たな施設も作られた年。この年、新潟県中越沖地震が発生しました。これから数年間は辛い天災が続きます。標語も、いつもの日々だと思わずに注意しようという意のものか増えていきます。
平成21年度 第60回 慣れた場所 慣れた仕事に 棲む危険
平成22年度 第61回 再確認 慣れと過信が 事故の元
この2年は激動の年でした。日本では鹿児島市の桜島が爆発的噴火し、海外ではハイチ地震、チリ地震が起こりました。標語は前年と変わらず、予防に徹しています。
平成23年度 第62回 危険予知 生み出す日ごろの 緊張感
そして、この年。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生しました。地震と津波により福島第一原子力発電所事故が発生し、行方不明者、死傷者ともに非常に多くなりました。この年までは、危険を事前に予知するというような内容の標語が続きました。
平成24年 第63回 高めよう 危険に対する 意識と知識
国立劇場で政府主催の「東日本大震災一周年追悼式」が行われました。また、東京スカイツリーも開業し、標語は予知ではなく、危険に対してどう対策を取るか、beforeではなく afterにシフトしているのが印象的です。
平成25年度 第64回 まず確認 そのひと手間で 事故はなし
平成26年度 第65回 常日頃 見据える危険の 一歩先
日本一の高さを誇る超高層ビル「あべのハルカス」が開業する一方、ベネッセコーポレーションの顧客情報流出事件が発覚しました。天災ならいざ知らず、人災は確認で防げる。そんな標語が制定されました。
平成27年度 第66回 まさかより もしもの備えで 快適職場
エアバッグの欠陥問題でタカタが経営破たんし、負債は1兆円を超えました。これぞ、「まさかないだろう」という思い込みから生まれた人災といえましょう。「もしかしたら」という心構えが大事となるのです。
平成28年度 第67回 見る目 気づく目 予知する目 一歩先読む 安全意識
この年、熊本地震が発生しました。震度7を2回観測し、死者267人、避難者数は183,882人にのぼりました。辛い天災が続きます。そんな中で大事なのが安全意識です。それを指した標語は、この年に最適だったでしょう。
平成29年度 第68回 「大丈夫!」 その思い込みで 大丈夫?
製造業大手の不祥事が多発しました。日産自動車で完成検査を無資格者が行っていたことが発覚。SUBARUでも同様の問題が発覚し、さらには神戸製鋼所が品質データを改ざんし出荷していました。 三菱マテリアルの子会社、東レの子会社でも同様の問題が見つかり、より一層チェック体制を整える必要に迫られました。
平成30年度 第69回 もしかして 危惧する心 防ぐ事故
平成最後の年。7月初旬の集中豪雨により、西日本で多くの河川が氾濫し、死者200人を超える甚大な被害となりました(平成30年7月豪雨)。日産自動車会長のカルロス・ゴーンが有価証券報告書の虚偽記載容疑で逮捕されたのも記憶にあるでしょう。この年、久しぶりに「予防」「予知」のような標語に戻りました。
令和元年度 第70回 つなげよう 過去の教訓 未来の安全
令和はじめての標語がこちら。未来を見るには過去の自己から学ぶことが肝要とおしえてくれています。あらたな時代の幕開けにふさわしい標語と言えるでしょう。
令和2年度 第71回 慣れ始め 生まれる油断 引き締めて
令和2年の標語は、1年のものと比べるとより普遍的になった印象です。平成30年の流れを受け継ぎ、よりよい職場内安全を目指すための標語になりました。
危険物安全標語
危険物安全標語は、スポーツ選手を毎回起用しており、そのスポーツに関する言葉で標語を作っています。
平成2年度 “まさか”より “もしも”で守ろう 危険物 ゴルフ/日陰温子
日蔭 温子さんは、女子プロゴルファーです。銀河系いわて大使としても活動しています。 1980年「ヤクルトミルミルレディーストーナメント」でプロ初優勝し、その後も多くの章を取りました。ゴルフの世界では、信じられないような「まさか」が案外、起こるものです。もちろん、危険物の取り扱いにおいてもです。いつもはしないようなミスをしてしまうこともあります。それを防ぐために、とても効果的な標語と言えるでしょう。
平成3年度 危険物 いつも本番 待ったなし 競馬/武 豊
武豊騎手は今日までに様々な記録を打ち立て、まだまだ第一線で活躍している競馬の騎手です。その一方で、何度も落馬してけがを負っているのも事実です。いつだって本番は悲劇的な結末を生むことがあります。そしてそれは突発的に訪れるものです。危険物の取り扱いも、同じように危険は突発的に訪れます。常に注意をして物事に当たらなくてはなりません。
平成4年度 心・技・知 危険物には 真剣勝負 サッカー/三浦知良
三浦 知良(みうら かずよし)さん、通称カズは、静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手、元・フットサル選手です。 Jリーグ史上最高齢の54歳でJ1リーグでプレーしており、世界最高齢での得点記録を持っています。三浦知良選手は、心・技・知で徹底した自己管理で心技体を鍛え最高のスポーツ選手なのです。危険物に対しても、強い心で真剣に向き合わなくてはなりません。
平成5年度 危険物 その時その場が 正念場 柔道/古賀稔彦
鮮やかな背負い投げを持ち味に「平成の三四郎」と呼ばれたバルセロナオリンピック、柔道の金メダリストの古賀稔彦さん。医学者でもあります。柔道は一本を取って勝つ方法もありますが、点を取る方法もあります。一瞬で試合がひっくり返る可能性も。危険物の取り扱いも、もちろんそうです。しっかりポイントを重ねなくてはいけません。ひとつひとつの現場が正念場になります。
平成6年度 一瞬の すきも許さぬ 危険物 サッカー/松永成立
日本サッカーがアマチュアからプロに移行するとき、日本代表のゴールを守り続けていたのは松永成立さんでした。ストレートなひと。反骨のひと。”鬼”と呼ばれ、強靭なメンタリティーで日産自動車サッカー部の、そしてマリノスのゴールキーパーを務めました。ゴールキーパーは最後の砦。危険物の取り扱いにおいても、取扱者はいつも最後の砦と言う意識が欠かせません。
平成7年度 確実な 攻守がきめての 危険物 将棋棋士/羽生善治
将棋界に数々の記録を打ち立ててきた羽生善治九段。永世竜王、十九世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖の資格保持者、および名誉NHK杯選手権者の資格まで持っています。彼の攻め手は守りでした。守って勝つ。そんなプレイスタイルは将棋の定跡と言えましょう。危険物の取り扱いは、攻めるだけではいけません。しっかり保守することが大切だと伝えてくれる標語です。
平成8年度 危険物 むき合う心 いざ集中 テニス/沢松奈生子
沢松奈生子は、伊達公子のライバルとして、1990年代の女子テニス界を率いた元プロテニスプレイヤーです。1998年に現役引退してからもキャリアは順調そのもので、後進の育成や情報番組のコメンテーターとして活動する中、2005年には結婚もしています。テニスは球と向き合う心が大切です。一球一球が勝敗を左右すると言えます。危険物に向き合う心も同じように、集中して作業を行うことが必要です。
平成9年度 気を抜くな 扱う相手は 危険物 ラグビー/平尾誠二
平尾 誠二は、日本のラグビー選手。日本代表選手であったほか、日本代表監督、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーなどを歴任し、ミスター・ラグビーと呼ばれました。一瞬の気の迷いや気が抜けることで、大きなミスを起こす可能性があります。防止するために、しっかりと気を引き締めていかなくてはなりません。
平成10年度 安全は 日々の気持ちの 積み重ね ゴルフ/芹澤信雄
芹澤信雄さんは、シニアルーキーの2010年「富士フィルムシニアチャンピオンシップ」で初優勝を飾り、96年には「日本プロマッチプレー」で初の日本タイトルを手にしました。“チーム芹澤”の長としてテレビ解説などでも活躍中です。ゴルフの練習は、一日何100本もショットを打ったり、素振りをしたりします。積み重ねた練習、訓練が成功を生み出すのです。同じように、安全も毎日の点検や日々の積み重ねが大事なのです。
平成11年度 危険物 一手先読む 確かな点検 囲碁棋士/梅沢由香里
梅沢由香里さんは、六歳の時に父親と囲碁を始めました。一九八五年,全日本女流アマチュア選手権八位。二〇〇二年、五段に昇段。テレビの解説やラジオのパーソナリティ、入門書や子ども向けの漫画「ヒカルの碁」の監修など幅広い活躍で知られます。囲碁は、一手先、もっと先の手まで読んで勝利をつかみます。危険物の取り扱いにおいても、先を読んで点検をすることで大きな事故を防げます。
平成12年度 危険物 守りのかなめは 保守点検 野球/古田敦也
捕手として強肩と頭脳を活かした野球で攻守ともにチームを牽引し、5度のリーグ優勝と4度の日本一と導いた古田敦也(ふるたあつや)さん。2006年にはプロ野球史上29年ぶりとなる選手兼任監督へ就任。プレイングマネージャーとして若手選手の育成やファンサービスを重視し、球団の人気に従事しました。守りにたけた戦法は今でも受け継がれています。危険物の取り扱いも、守り、保守点検が欠かせないのだと示しています。
平成13年度 危険物 めざすゴールは 無災害 水泳/田中雅美
田中雅美さんは、シドニー大会では400mメドレーリレーにて銅メダル獲得。引退後はスポーツコメンテーターとしてテレビ・ラジオ等のコメンテーターをしています。水泳には、いつも必ずゴールがあります。みんながそのゴールに向かって切磋琢磨しているのです。一見、危険物の取扱者にはゴールがないように思えます。だからこそ、「無災害」というゴールを目指すことが大切なのです。
平成14年度 危険物 小さな油断も イエローカード サッカー/フィリップ・トルシエ
フランス出身のサッカー指導者、元サッカー選手。1998年から2002年までサッカー日本代表監督となり、アフリカでは「白い呪術師」とよばれました。サッカーでのイエローカードは反則に対しての「注意」「警告」のような意味もあります。小さな油断が起こす事故を防ぐために、常に自分の行動を自分自身で見張らなくてはなりません。
平成15年度 危険物 無事故の主役は あなたです 女優/米倉涼子
米倉涼子は言わずと知れた、日本を代表する大女優です。主役を張ることも多く、彼女の居る華やかな画面は見ていて飽きません。危険物の取り扱いはあまり派手な仕事ではないかも知れません。ですが、いつだってその仕事の主役は自分なのです。スポットライトを浴びているつもりで、気を引き締めて仕事をしましょう。
平成16年度 危険物 ゆるむ心の 帯しめて 柔道/谷 亮子
谷 亮子(たに りょうこ)は、オリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得しました。2018年1月には、女子としては極めて異例の飛び昇段で六段になったのも素晴らしい成績と言えるでしょう。心の帯をしっかり締めて試合、つまり危険物の取り扱いに臨むことでが大切だと伝えてくれる標語です。
平成17年度 危険物 かさねる無事故の 金メダル マラソン/野口みずき
野口みずきは、マラソン及びハーフマラソンで活躍する女子陸上選手で、オリンピック・マラソン競技金メダリストとしてのそのめざましい活躍から「ハーフの女王」と称されています。重ねた経験から得られる確実な力は価値です。無事故を重ねていることも同じように、価値なのです。
平成18年度 自主点検 欠かさぬあなたに グランプリ F1レーサー/佐藤琢磨
F1とインディカー、両方の表彰台を知る唯一の日本人レーシングドライバーが、佐藤琢磨です。2017年にアジア人として初めて最高峰である「インディ500」で優勝し、2020年に2度目の制覇をしています。F1では、車の点検が欠かせないのだと言います。自主的に点検を行うことで、事故なく走行を終えられます。記念物の取り扱いも同様と言えるでしょう。
平成19年度 危険物目指せ無事故のMVP 野球/井口資仁
井口 資仁(いぐち ただひと)は、元プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズの監督です。シカゴ・ホワイトソックスとフィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズ優勝を2度経験している。アトランタオリンピック野球の銀メダリストでもあります。MVPも獲得しています。危険物の取り扱いにも、無事故で行うMVP選手並みの優秀さが必要になるのです。
平成20年度 安全へ確かなスマッシュ保守点検 バドミントン/小椋久美子・潮田玲子
バドミントン北京五輪代表 "オグシオ"こと小椋久美子さんと潮田玲子さんは、全日本総合5連覇、世界選手権銅メダルが北京五輪出場など多くの功績を残したレジェンドペアです。安全はスマッシュのように素早い保守点検によって守られるものなのです。
平成21年度 安全は 意識と知識と 心掛け 卓球/福原 愛
福原 愛(ふくはら あい)は、1990年代から2010年代にかけて活躍した日本の卓球選手です。日本では幼少期からテレビなどマスメディアに頻繁に登場し、「卓球の愛ちゃん」「天才卓球少女・愛ちゃん」「泣き虫・愛ちゃん」などと呼ばれ、国際大会で活躍するようになってからは中華圏で「小愛」(シャオアイ)や「瓷娃娃」(ツーワーワー)などと呼ばれ親しまれていました。卓球も危険物取扱も、知識と意識が大切なのです。
平成22年度 危険物 事故は瞬間 無事故は習慣 気象予報士/根本美緒
気象予報士で、主にテレビ番組などの「お天気コーナー」担当キャスターを得意としています。慶応義塾大学経済学部卒業後、東北放送アナウンサーとして活躍しました。気象は毎日の積み重ねです。毎日の習慣が結果を生みます。危険物取扱者は、毎日の習慣の積み重ねが大切なのです。
平成23年度 危険物無事故のゴールは譲れない! サッカー/川島永嗣
リーグ・アン・RCストラスブール所属。日本代表。ポジションはゴールキーパーです。10年間以上のリーグアン(フランスリーグ)において最初のPK3本を阻止した初のGKになりました。ゴールを守るのはキーパーの仕事。安全を守るのは、危険物取扱者の仕事です。
平成24年度 危険物 めざせ完封 ゼロ災害 野球/田中将大
古巣・楽天へ復帰したかつてのエース。2013年に24勝を挙げて球団初の日本一に貢献すると、翌年からメジャーに挑戦。渡米後は6年連続2ケタ勝利を達成しています。8年ぶりとなるNPBの舞台でも輝きを放ち、チームを再び頂点へと導きました。ゼロ災害はノーヒットノーランにも似ています。しっかりと抑えきることが大切です。
平成25年度 あなたこそ 無事故を担う 司令塔 サッカー/宮間あや
世界を舞台に活躍したサッカー元日本代表選手です。日本女子サッカー界の至宝と呼ばれており、サッカー日本女子代表では主将を務めた経歴も持ちます。サッカーの司令塔は非常に重要な役割を持っており、他には変えられません。危険物取扱者も、ひとりひとりが司令塔だと思い、責任感を持って当たらなければなりません。
平成26年度 危険物 読みはまっすぐ ゼロ災害 ゴルフ/森田理香子
8歳から競技を始め、2008年にプロ転向。岡本綾子に師事し、力強さと美しさを備えた完全無欠のスイングを目指したプロゴルファーです。ゴルフではラインの読みが非常に大切になります。危険物を見る読みも大切で、読み違えると事故につながります。
平成27年度 無事故へと 気持ち集中 はっけよい 相撲/遠藤
遠藤 聖大は、石川県鳳珠郡穴水町出身で、追手風部屋所属の現役大相撲力士です。得意手は左四つ、突き、押し、上手出し投げ。標語としてもテンポが良く、かつ親しみやすくわかりやすいのがいいですね。
平成28年度 危険物 決めろ無事故の ストライク ソフトボール/上野由岐子
上野由岐子選手は、女子ソフトボール日本代表は2008年北京五輪以来の連覇を果たし、金メダルに輝きました。アテネオリンピック銅メダリスト、北京オリンピックをも金メダルに導きました。ソフトボールのストライクは勝利への一歩です。危険物を取り扱うときも、より安全に貯蔵・取扱いを行うため、保安意識の高揚と啓発を図る必要があります。
平成29年度 あなたなら 無事故の着地 決められる! 体操/白井健三
リオデジャネイロオリンピック(五輪)の体操男子で金を含む二つのメダルを獲得した白井健三さん。内村航平に続く、体操ニッポンのエースとして期待されていましたが、24歳の若さで現役引退をしました。着地は体操の中でもとても大切な手です。ひとつのミスが大きな事故になりる危険物の世界でも、一手が同様と言えるでしょう。
平成30年度 この一球届け無事故へみんなの願い 車いすテニス/上地結衣
上地 結衣(かみじ ゆい)選手は、車いすテニスのリオパラリンピック銅メダリストです。先天性の潜在性二分脊椎症で 成長とともに車いすを使用するようになり、 11歳で車いすテニスを始めました。一球が勝敗を分ける勝負の世界では、その球に対して願いを多くの人が重ねます。危険物の取り扱いに関しても、一手が大事故を引き起こすこともあります。
令和元年度 無事故への 構え一分の 隙も無く 空手 形/清水希容
技の正確さや力強さなどを競う「形」の日本女子のエース。全日本選手権7連覇、世界選手権2連覇。東京オリンピックでは、決勝の演武でとても素晴らしい演舞を見せ、銀メダルを取りました。空手の形は、構えに隙があってはいけません。危険物の取り扱いも同様です。わかりやすく、いい標語です。
令和2年度 訓練で 確かな信頼 積み重ね 競馬/藤田菜七子
16年ぶりに誕生したJRA生え抜きの女性騎手として注目を集め、2018年にJRA女性最多勝利記録を樹立しました。翌2019年には女性騎手としては史上2人目、JRA所属の女性騎手としては初のJRA重賞制覇を果たしました。訓練を行うことにより、馬との信頼関係を築くのが騎手です。危険物であっても、練習を重ねることで信頼を得られるのでしょう。
令和3年度 事故ゼロへ トライ重ねる ワンチーム ラグビー/リーチ マイケル
2014年4月、日本代表キャプテンに就任。RWC1999で日本代表を率いたアンドリュー・マコーミックに続き、2人目のNZ出身キャプテンとなったリーチ マイケル。いま欲しいモノは?と問われて、「肩幅」と答える、ユーモアあふれる一面もあります。ラグビーは激しいスポーツですが、チームでトライを重ねることで危険を防止できます。